なにも変わらない

“午前十一時に、一階ロビーで待ち合わせ”
時計を見て僕は一階まで降りて近くの椅子に座っていた。
赤い椅子が何個も並んでいる。せっかちな色なんか使わない方がいい気がする。

行き交う人、人、人。それを目で追っている。
意味が無い行動だけれども、本も何も持っていなかったからそうするしか無い。少しイラつきながら待つ。
シャツの袖を手で掴んで引っ張っていた。外せないソレも不自由だった。
待つのだって本当は嫌いだ。待ってるんだったら何かしらしたい。
動けない事って苛々する。
自由な方の親指を唇に当てた。”いつもなら”しない事だった。

「おはようさん」
待ち合わせの時間には早かったけれども、”待ってる人”が来た。
“名前と顔も頭の中で一致している”
「朝から恐い顔すんなよ」
「”早かった”ね」
「待たせるよか、ずっといい」
彼は僕の手を掴んで引っ張る。よくそんな事出来るな。と思った。
なかなか先進的な頭かも知れない。
「”午前”は眠たい」
「じゃあ、午後に向けてコーヒーでも飲もや」
彼は”いつもの様に”口をにいっとさせて笑うと、僕を連れて直ぐ近くのコーヒーショップへ歩いていく。これも”同じ事”だった。

外の空気に触れる。陽が目と肌を刺した。これだけで体がバラバラになりそうなくらいだ。
「しかし、暑いな」
首に巻いていたスカーフをはたはたさせて彼は言った。
「”七月”だ。暑いなら取れば?」
「まあ、直ぐ建物の中入るしな」
そう言うと彼はするりとスカーフを外した。
外した。
彼が僕の顔を見て、そして少し残念そうな顔をした。
「…こういう時ぐらいびっくりしたとか言わん?」
「”普段は”、外さないね」
「…ま、いいや」
顔のパーツを横にくしゃりとさせて彼は言う。

そうして、コーヒーを二つ頼むと席についた。
彼はカップを啜る。確か、”古い文章”だとコーヒーは啜るものだった気がする。
僕は冷めるまでは飲めないから脇に置いたままにしておく。
「”いつも”おごってもらってるよね」
「そんなもんは気にすんな」
「ごめんね」
「こんな小銭で買えるもんにごめんなんて言わんでも。大したもんでも無いし」
「ええと、おごってもらって、じゃなくて…」
僕は言葉を組み立てようとしていた。
どうやって伝えたらいいのかわからない。

「”記憶が無い”って、哀しい」
彼の顔を見ながら言う。
多分、彼とさっき会った時から僕の顔は殆ど表情が変わってない。
能面みたいに顔に表情を作れていない。これはまだ、いい方だ。
顔って鏡を覗いた時以外は蝋が溶けたみたいにゆがんでる。
だから、意識して無いと直ぐにゆがんでしまうんだ。けど、鏡には悪魔が住んでいて怖いから見てない。
せめて、どろどろに溶けた顔では無くて、能面くらいになってくれてたらいい。
「データ自体はあるから、”君の事が友達”だってわかるんだよ。でも、”君と過ごした記憶”っていうのが全く思い出せない」
「そりゃ、仕方無いね。だって、俺達学校で会ったら喋ってたくらいで取立てて何かしたっていう事は無えし」
「でも、それでも、全然思い出せない。気持ち悪い」
「気持ち悪い?」
「ひとりだけ、取り残されてるみたい。透明なガラスに囲まれてるみたいな。それか、誰かの体に入り込んじゃったヴァイアラスみたいな」
「ウィルス…」
「言ってる事の前後もわかる。…やっぱり気持ち悪い。”思い出せない”のに無意識に反応出来るって気持ち悪い」
腕や足を失った人が感覚として手足を認識している時ってこんな感じなのだろうか。
脳は覚えているけれども、実際には感じる事が出来無い感覚。
「大半の事が圧縮されて記憶に残らない。思い出せない。平坦すぎてどこにいるのか手掛かりが掴めない。”昨日”もわからない。そこに在るものの繋がり、結合力が弱すぎるんだ。薬のせいなのか、それとも脳の機能がおかしくなってしまったのか…」

空間の広がりだけが理解出来る。
物も人も、目の前の彼も遥か遠い。
頭の中で一瞬だけ全てがポリゴングラフィックに変換される。
「それが、哀しい」
僕は、感情も無く言った。
やっぱり僕はどこかのコンピュータの中で構成されたキャラクタなのかも知れない。
自分の感情なのに、その感情でさえ言葉の羅列にしかならなかった。

病気も、狂気も、正常も、何が違うんだろう。
生きてる事も死んでる事も、同じなのに。
同じになってしまったのに。

2011.05.23 |  Short Short Story | Text |  緋衣那 充希

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