出張 (1) Visible Side

高速で流れていく窓の外の景色は夕暮れ時だった。
出張で唯一苦手な事と言えば、行き帰りの移動である。
路線の行き届いた地域であればまだ嫌いにはならなかっただろうが、生憎、自分の住んでいる地域というのは電車の路線は無い。
かつては一時間に一本だけ電車が走っていたが、十年程前―自分が今の家に移り住んだ頃―に廃線となってしまい、一番近くの駅は車で三十分以上という足の悪さだ。
開発される様な地域でも無く、歩けなくなったらどうするのだろう。
その時には宅配サービスなどが充実していて欲しい。などと、どこか安易な事も考える。
この安易さは甘い、と自分でも思う。無理であれば、家を引き払ってもう少し生活のしやすい街に移動した方がよいのだろう。気に入っている家であるので、出来る限りは住んでいたい。実家の方に戻る、という選択はいつだったか捨て去ってしまった。

鞄の中からレジュメの束を取り出して、昼間の会議の内容を思い出す。
束の中で必要なのは数枚程だ。あとは印刷して渡される程の物でも無い。そして、会議の内容というのもこの資料の内容の濃淡と同じ様に必要性の無い部分が多い。もっとスマートな事が出来無いのだろうか。
ハンドアウトに載っているものは短絡的なもので、指摘する部分が幾つかあった。
試算が甘すぎる。もう少しシビアに見るべきだ。
あれでは中期以降の見立てはよくはならないだろう。その頃には基盤が脆弱化している。
土に手を入れなければ根が張らない。根を張れない野菜は実らない。それと同じだ。
疑問点を暗に含んだ質問をしたが、その回答はやんわりと「考えていません」というものだった。
そんな事でいいのか?
自分は大丈夫だ、と考えている事が見え透いている。上になる程、壊滅的な事態が起こらない限り、身の安全が保証されていると思い込んでいる。
後輩達を考える。更に拡大する。結論は自分の中で明確だった。

少し、こめかみの辺りが痛んで、指先で押さえた。窓の向こう側で、自分が少し苦笑しながら首を振るのが視えた。確かにそうだ、まだ出来る。と窓ごしの彼に答える様にして顎を引いた。
もう一度、資料に目を通して幾つかのメモを拾い読む。ラップトップを起動させて、レポートの構成を整える。駅での待ち時間に大体の書くべき内容、課題点は打ち込んであった。
全体がまとまったので一度全体を読み通して、文法的な間違いを直す。ここまでしておけば、問題なく提出出来る。最終チェックは家に着いてからにする。
書きながらも思っていたが、渡される側としては、意図されていないものだろう。向こうの意図も理解しているが、先を考えれば妥当なレポート内容である。

ラップトップの電源を落とし、閉じたところで一度息を吐き出す。
もう少しくらい、自分の仕事がしたかった。自分の所属するチームが担当しているモノに力を注ぎたかったが、流石に最初の頃の様に自由にさせてはもらえない。きつかったが、自分が試作に関われている、それが自分にとって熱心になれるものだった。
日本語で言うと大げさに聞こえるが、自分の存在に対するちょっとした尊厳の様なものだった。これは、自分にとって、幸運な事だったと思う。そういったものがあったからこそ、ここまで立っていられたのだ。
昔から、周りに勘違いされているが、自分は人よりも足元がぐらつきやすい人種である。学生の頃は常に理由や大義名分、常識を意識していなければ、まともに立っている事が出来無かった。”道徳的正しさ”に対する振る舞い、差異の修正の繰り返しだった。修正ばかりが目に付いて、厭になって投げ出したくなった事もある。

大学まで続けていた剣道の形と似ている。二十年以上続けていれば普通の振る舞いは出来る。剣道形は剣道の段位取得の一環でもあるのだが、好きな部類の練習だった。所作を洗練させるというところが自分の性に合っていたのだろう。記憶が一瞬だけ中学の頃まで戻る。夕暮れの武道場で一人で素振りをしている時の事だ。あの時間は好きだった。うつくしいものへの予感、というのだろうか、綺麗なものを拾える気がした。

現在に、自分が就いている現場に立ち返る。これから先、作るべきモノに全く触れられなくなってしまうのだろう。予感と言うよりも、全体を見渡した流れから推測される帰結だった。出来るだけ現場で動いていたい、というのが本音だが、そうもさせてはもらえないらしい。
現場の状況が全く分かっていないで勝手な指示を出す、それは嫌な事だ。そうならない様、確りと根ざしていかなければならない。その手間は幸か不幸か割く事が出来る。これが、現場から自分が離れてしまう原因だろう。
ここからは更に上手く渡っていかなければならない。きっと、上は面白く無いだろうが、肩書きよりも実際の方が、自分にとっては重要だ。上手くやれる、やってみせる。

するべき作業は終わったので、もう仕事の事は考えない事にした。
一度目を閉じて、思考を止める。無くてもキリは付くので、形骸化した儀式だ。
鞄の中から文庫本を取り出して読む。本を読む事で僅かに、安定、という感覚を抱く。
読んでいる間、自分の頭の中を流れる血が仕事の時や家に帰った時とは違った動きをしているのが判る。それが、気分転換になっている。この血流は嫌いじゃない。
一章を読み終えて、視線を窓の外へ移した。
外は暗くなっていた。そして、解像度の低い鏡となった窓に自分の姿が映る。
スーツが黒い。頬を隠す様に流れた髪も、目も。黒で塗り潰されている。
ぼうっとしてその暗闇を見ていた。少し、疲れているのだろう。

Someone knocked the door…

2011.09.13 |  Short Short Story | Text |  緋衣那 充希

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